ここ数日続く頭痛に、「何か重大な病気だったらどうしよう」という不安が膨らみ、私は神経内科を受診しました。
診察では頭痛の頓服薬と予防薬を処方され、不安は少し和らいだものの、娘に会いたいという思いだけは消えませんでした。
娘に会ったからといって頭痛が治るわけではありません。
それでも私は、娘の顔を見て「元気だよ」と聞き、その声に触れることで、張りつめていた気持ちを落ち着かせたかったのだと思います。
本音を言えば、私は娘を家に連れて帰りたいとまで思っていました。
せっかく自分の足で巣立った娘なのに、「もう一度この家で一緒に暮らしたい」と心のどこかで願っていたのです。
子どもの巣立ちは喜ばしいことのはずなのに、こんなにも寂しいとは思いませんでした。
食器棚に並ぶ娘のマグカップや、きれいに片づいたままの部屋を見るたび胸が締めつけられました。
成長を誇らしく思う気持ちと、娘の足音や笑い声が消えた静けさへの寂しさ。
そのどちらも本当の気持ちで、自分でも整理できませんでした。
同じように、子どもの成長を願いながらも、夕食の支度中や洗濯物をたたむ何気ない時間に、ふと空いた席へ目が向いてしまう親御さんもいるのではないでしょうか。
誰にも言えず静かな寂しさを抱えている方がいたら、どうか「自分だけじゃない」と感じてもらえたらと思います。
私は娘が4歳、息子が2歳の時に主人を亡くしました。
それからは子どもたちと3人で歩んできた人生でした。
嬉しいことも、苦しいこともたくさんありましたが、いつも子どもたちの存在が私を支えてくれました。
だからこそ、娘が結婚して巣立った時、想像以上の寂しさに包まれたのかもしれません。
そんな私に息子は、
「お母さん、会ってきたらええやん😊」
「お姉ちゃんの顔、見ておいで」
と声をかけてくれました。
私は返事をしようとしましたが、喉の奥が詰まって声が出ませんでした。
息子の背中に顔をうずめると、シャツの布地がじんわり濡れていくのがわかりました。
息子は「そんなに我慢しとったん?」と小さく笑い、何も言わずそのまま立っていてくれました。
私は肩を震わせながら、途切れ途切れに娘のことを話しました。
受診を終えた私は、処方された薬を手に娘の住む福岡へ向かうことにしました。
新神戸駅から博多駅までの新幹線。
当時の私は気持ちに余裕がなく、自分で切符を取ることさえできませんでしたが、息子がスマホで予約してくれました。
「ほら、これで大丈夫」
そう言って画面を見せる息子の横顔を見ながら、私は何度もうなずきました。
あの頃は娘のことばかり考えていましたが、振り返れば息子もまた私を支えてくれていたのだと感じます。
親はいつまでも子どもを支える存在だと思っていました。
でも気がつけば、落ち込んで動けなくなった私の隣で、息子が黙って切符を手配し、背中をさすってくれていました。
そのことに気づいた時、胸の奥に温かいものが広がりました。
こうして私は、息子の優しい後押しを受けながら福岡へ向かいました。
あの頃の私は、娘に会いに行くつもりでした。
でも今振り返ると、本当に会いたかったのは「安心したかった自分自身」だったのかもしれません。
福岡で娘と再会した時間は、私にとって忘れられない大切な時間となりました🌷
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